窯元/金澤一弘
1845年(弘化2)金澤與一により創業。丸尾が丘周辺の粘土質の赤土を使い、水瓶、味噌瓶、醤油瓶等を製造しました。二代久四郎が継承1887年(明治20)する頃には、県内各地に様々な瓶が出荷され、天草の瓶屋と呼ばれるようになりました。三代金澤武雄は技術者として、沖縄、栃木等の窯業地で指導を行い、栃木県では益子町の県立窯業指導所の初代の所長を務めます。1932年(昭和7)三代を継承し、食器・花器等、手工芸としての陶器作りに着手。名称も丸尾焼と定めました。四代金澤武昌が1960年(昭和35)四代を継承した頃には、瓶類の生産が減り、江戸末期創業の窯が相次いで途絶える中、現在の技法による生産が確立されます。五代金澤一弘は1980年(昭和55)五代を継承し、生活空間をより豊かにする日用の器の完成を目指し、個人ではなく集団でのモノ作りに取り組んでいます。1995年には工房を新築し、常設展示室をオープンいたしました。展示室には丸尾焼の作品の他に、工房で主にデザインを担当する金沢弥和の個人制作の作品をはじめ、後継者の個人制作の作品も常時展示いたしております。皆様のご来窯をスタッフ一同、心よりお待ち申し上げます。
天草市役所より約5分。カーナビ設定は「丸尾焼」でOK!
駐車場に看板あり。本渡北小学校、本渡馬場郵便局近く
天草の窯元の多くは個人で作陶しています。展示会等で長期間不在となる場合もありますので「不定休」と表示がある窯元へお出かけの際は、事前にお電話にてご確認ください!